こんにちは。おつまむです。「才能がある人」や「天才」という言葉が昔から大嫌いです。
私は体格に恵まれなかった事や、不器用で物覚えも悪かったので「天才」や「才能がある人」という人の存在を認めたくなかったのです。
ですが、高校時代に「天才や才能がある人はいるんだな」と認めざる得なかった出会いがあります。
今回は、私に残酷な現実を突きつけてくれた「天才の人」のお話です。
私が認めた才能がある人は、野球部の補欠の男だった
私は高校時代、陸上部に所属しており長距離を専門としていました。中学の時は中長距離を走っており、中学の時、陸上部に誘った元サッカー部の人に、800mで圧倒的に負け、その後、全国レベルの選手になっても、私はその人を「天才だな」とか「才能があるな」とは思いませんでした。
体格が大きくならなかった私は、体格差が関係しづらい長距離に専念する事にしました。それでも周りにどんどん追い越されていったのですけどね。
その時私は、自分の努力が足りないんだと、毎日練習に明け暮れましたが、練習の際にした小さな怪我が大きな怪我に発展し、結局思うような結果を残す事はできませんでした。
あっけなく高校最後の地区大会も終わってしまいましたが、高校最後の大会には「北海道駅伝」がありました。
私の高校の陸上部は、駅伝のメンバーを組めるほど長距離専門の人がいないので、他の部活から助っ人を頼むのですが、その助っ人の一人が「天才はいるのだな」と認めざる得なかった人です。
その人は、野球部の補欠の男でした。その人をKさんとします。どの部活も基本的にエース級や主力級の人材は貸してくれないので、毎年、まぁまぁ長距離が早い、各部の補欠とかの人を集めて、タスキが最後まで繋がればいいね的な感じで参加している様な大会でした。
Kと私は同級生で、それなりに仲が良く、駅伝に誘ったのは私でした。
Kさんは運動神経が特別良いわけではないのですが、抜群に足の運びが上手く、長距離を走らせた時にどの様な状況でもフォームが全く崩れないという所に惚れ、私から駅伝に出てみない?と誘ったのだ。
一応引退になっているので、陸上部のグラウンドでは練習ができず、私が練習メニューを考え一緒に3か月程練習をしました。
そして、陸上部として駅伝の練習が始まる日を迎える。大会までの約1か月の間、助っ人を交えて練習をするのですが、そこでKは、駅伝のエース区間を走る人と互角に渡り合ったのです。(私は遥か後ろ)
そのエース区間を走る人だけは、陸上部の顧問が頼み込んで、レベル高い人がくるのです。大体1500mを4分30秒ぐらいで走るぐらいの人が用意されます。
そんなエースと互角に走りあっているのです。つい3か月前は私よりも全然遅かったKさんが。
共に練習をしていて1カ月で「こいつもう余裕で私より速いワ」と思っていたが、ここでまでの成長を見せているとは思わなかった訳で。
しかもKさん…一緒に練習している私からみて思ったのだが、手を抜いて走っているのです。
私がそれを口に出す事はなかったのですが、一緒に競いあっていたエースの人は気付いていて「エース区間はKさんが走った方が良い」と言っていた程。
ただこのKさん。10キロも走りたくないから、エースにわざと負けていたので、顧問が性格的に無理と、8キロの区間を担当する事になったのです。
私はそんなレベルの高い戦いについていける事もなく、悔しさがこみ上げたのを今でも思い出します。
どこか「天才」や「才能がある人はいる」なんて事を気付いていたけど認められないでいましたし、多くのプロスポーツ選手は「天才はいない」みたいな事を言うので、そういった偉大な人達の言葉を盾に、認めていなかっただけなのかもしれません。
ですが、天才はいた。なぜ、意地でも天才や才能を認めなかった私が、このKさんを「天才」と認めたのかを説明します。
Kさんは長距離を走る事にほしい全てをもっていた
3か月足らずで、駅伝のエース区間を任せられる人と互角以上の実力を身に着けたKさん。
今まで「天才はいない」とか「才能があるやつはいない」と断固認めなかった私が、このKさんを「天才」と認めた理由は、急激な成長を遂げたからだけではありません。
Kさんに野球の才能があるかどうかは分かりませんが、高校に入学してスタメンで使われなかった事をみると、野球には不向きだったのかもしれません。
これはあくまで「しれません」という事です。Kさんは「下半身の使い方」が上手い割に「上半身との連携がうまくない」という印象がありました。
ですが、それ以外は長距離選手としてほしい要素を全て持っていました。例えば体格。身長は170cmないぐらいの丁度良い高さ、体重もどちらかというとやせ型で、食べても太らない体質。
そして、怪我をしない頑丈な体に、効率的な足のさばき方等、長距離ランナーに欲しい要素を全て持ち合わせていました。
物覚えが悪く応用ができないという欠点がありましたが、ドリルや短距離のダッシュで、Kさんに合った走りを教えたところ、1カ月で3000mを10分切って走ったのです。しかも、土のグラウンドで。
その時に私は全てを認めてしまったのです。こいつ長距離ランナーに欲しい全てを持っている。天才だワと。
「あまり努力をせずに、高いパフォーマンスを発揮できる」というだけでも「才能がある」「天才だ」と言われる事があります。
それだけでは私は「天才」とは思いません。「体格」や「体の強さ」等すべてを持っている人が「天才」や「才能がある人」言われるのではないのでしょうか。
私には、何もせずに高いパフォーマンスを発揮する能力も無ければ、体格も体の強さもありませんでした。
もし体格と体の強さがあれば、未だに「天才」や「才能がある人」という人を認める事が出来なかったでしょう。
もし体格があれば、もし体が頑丈なら、私はKさん以上に努力をし、対抗したでしょう。例えそれで勝てなくても「天才」「才能がある人」を認める事は無かったでしょう。
Kさんの方が、長距離を走るのに向いていただけであり、努力をすれば追い越せると言い聞かせると思います。
ですが、私には体格も体の強さも無かった。私はKさんが羨ましいと純粋に思ったのです。
なにもない私だから分かってしまうのです。そして認めてしまったのです。天才はいる。才能がある人はいると。
結局結果を残した人は何と言おうと天才 であり才能がある人
中学・高校・社会人と経験して、私が「天才」や「才能がある」と思った人はこのKさんだけです。
狭い世間しかみていない私ですがね。私が言いたいのは「高いパフォーマンスを発揮できる」だけでは「天才」や「才能がある」という人ではないという事です。
それ以外にも、努力し続けられるという事や、パフォーマンスにあったフィジカルを持っている等、全てを持っている人が「天才」や「才能がある人」と言えるのではないのでしょうか。
結局Kさんは、長距離を好きになる事もなく、野球も辞め、今はスポーツトレーナーだっけかな?で充実した生活をしているそうです。
ちなみに駅伝でのKさんの結果は、区間15位ぐらいだったと記憶しています。8キロもそれなりのエースをぶつけてきますからね。
また弱小高校だったので、周りに速い相手もいなかったので、条件次第ではもっと好記録だったのかもしれませんね。
もし、あのまま長距離を続けていたら、とんでもない素晴らしい選手になっていのでは?と思うのですが、結局その才能が活かされないなら「Kさんには長距離の才能がなかった」という事にもなるのかもしれませんね。
あと、偉大なスポーツ選手達が良く言う「天才はいない」等の言葉。そう言っている人は相当な努力をしたり、自分自身以上に高いパフォーマンスをしている人を見ているから、そういう言葉がでるのだと思うのです。
それでも、偉大なスポーツ選手などは、普通の人に比べたら高いパフォーマンスが出来るわけで、強い体があるからこそ、相当な努力ができるわけで。
結局何が言いたいかと言うと、何も持っていない私からすれば、生まれながらに持っている能力や素材を活かし、努力し続けた偉大なスポーツ選手は、天才・才能がある人なのだ。
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